悪魔の話

悪魔の話 (講談社現代新書)

悪魔の話 (講談社現代新書)



宗教的な存在としての悪魔について、現代に伝わるいろいろな逸話や歴史上の伝説などを紹介します。


悪魔というものは世界中の様々な宗教に存在するものですが、本書では一部日本の河童も登場しますが、メインとしてはヨーロッパにおけるキリスト教の悪魔に関する話題が紹介されています。学術的な堅い内容ではなく、独特の文体でおもしろおかしく悪魔について語られていきます。


一神教においては悪魔というのは非常に厄介な存在です。神は絶対の存在ですべてを創造したのですから、当然悪魔も神が創造したことになります。したがって、神が創造したものがなぜ悪なのか、何のために神が悪魔を創造したのか、この説明に中世の人々はかなり苦労しています。宗教側にとっては悪魔というのは民衆を恐れさせて宗教に依存させるために有用な存在でしたが、しかし教義上は悪魔の存在を説明するのが難しく、諸刃の剣でした。宗教側の説明としては、悪魔は元々は神によって善なるものとして造られたとし、それゆえにルシファーはかつて大天使であったという話になっていきます。そして悪魔たちは自らの自由意志により堕落したのだ、とされています。これもある意味苦しい説明で、結局絶対者であるはずの神は悪魔を制御しきれていないことになるのですが、とりあえずこの説明が通っていたようです。もっと厳密な神学者などはいろいろなツッコミを入れてきていたものと思われますが、本書ではあまり深入りしません。まぁ、非キリスト教徒の目からすると実在しない想像上の存在である悪魔について、その定義や性質を細かく論じても意味がないような気がしますので、こういうスタンスも別にいいかなと思います。そういう方面に興味のある方は別の本を当たられると良いでしょう。


それよりも本書ではいろいろな逸話を紹介する中で、そのような逸話を語り広めた民衆の側の実情を浮かび上がらせる、民俗学的な観点が主です。とは言っても民俗学的な意味においても学問的な説明がくどくどなされることはなく、悪魔すらも利用して裏切ってしまう人間の邪悪さが皮肉をこめて言及される程度です。また、魔女について、特に魔女裁判によって多くの犠牲者が出たことについてかなりのページを割いて紹介されています。ここでも宗教的な熱狂を利用する形で、不都合な人間を処分する人間の姿が紹介されています。中世の抑圧された民衆の「陰」のエネルギーが生み出したゆがんだ想像物である悪魔ですが、それだけに人間の本質のようなものが見えておもしろいですね。