後悔と自己嫌悪は別物

初めまして、トラックバックにて失礼いたします。
id:Noraneko_rockerさんのエントリを拝見しました。
コメントさせていただこうかと思ったのですが、
長くなりそうなのでこちらで独り言させていただきます。


私は、明らかな失敗をやらかしてしまったときなんかは
さすがに後悔と自責の念で一杯になるのですが、
基本的に自分の「今」にあまり深く後悔をしたことがなかったように
思います。
そこで、私はなぜ後悔してこなかったんだろう、と考えてみました。


「選んだ選択肢」と「選ばなかった選択肢」の比較は、
結局のところ「現実」と「空想」の比較に行き着きます。
なにせ、「選ばなかった選択肢」は文字通り選ばなかったのだから、
それを「もし選んでいたら」というのは空想するしかない。
「現実」はまさに目の前に存在する客体ですが、
「空想」は意識的にせよ無意識的にせよ、恣意的に、
つまり自分に都合よく考えることが可能です。


まして「選ばなかった選択肢」を空想してみるという行為の動機が
現実に対する何らかの不満を軽減したいという欲求である場合、
これは一種の現実逃避行動であって、
逃避先である「選ばなかった選択肢=空想」は美化されやすく、
一方で逃避元である「選んだ選択肢=現実」は
否定的に評価されやすくなります。
この状況下での「現実」と「空想」の比較は、所詮「現実」側には
勝ち目のない勝負です。
つまり、「選んだ選択肢」と「選ばなかった選択肢」を比較すれば、
始めから「後悔」という結果に行き着くようにできているのです。


後悔すること自体が罪なことだとは思わないのですが、
一通り後悔し終えたら冷静になってもう一度、
「選ばなかった選択肢」を選んでいたら、本当に今よりもよい状況が
生まれていたのかどうか、考えてみるのも面白いと思います。
今の自分は、選択の岐路に立っていた当時の自分よりも多くの「結果」を
知っています。
結果論から過去を否定することは簡単ですが、
それは有意義なことではありません。
いろいろ考えてみれば、どんな選択肢にも多くの不確定要素が存在し、
「その選択肢を選んだから」というだけで
全てが上手くいくわけではないことに気付くはずです。
何を選択しようとも、その結果がどうなるかは、
「選んでみなければ分からない。」


こんなことを自分に言い聞かせてみると、
「あの時こうしていれば・・・」と悩むことには
あまり意味がない気がしてきます。よね?


深く考えないコツは、「考えないようにしよう!」と頑張ることではなくて、
「過ぎたことを考えてもどうしようもない」のだということを理解すること、
そして後悔したくなるような状況を打破するためには、
過ぎたことよりも考えなければならない大事なことが他にあるはずで、
それを見つけ出して、そっちを考えることに気持ちを持っていってしまうこと。
アタマをそっちに使っちゃうこと。
気を紛らわせると同時に前進するための準備もできてしまう一石二鳥の作戦。


ちょっと味気ない教科書的な話になってしまいましたけど、
きっと私は本気でこういう風に信じてます。
だから後悔しにくいんじゃないかな、と。


それと、これから何かを選択しようってときには、
私もさんざん悩む方です。
うーん、ウソかも。悩むというよりも根性がないだけかな。
「悩む」と表現した内容は、「どれが正しいか」ではなくて
「自分はどうしたいか」。
そしてその「悩み」はほとんどの場合即時的直感的に答えは分かっていて、
でも実際行動するとなると腰が退ける、て感じです。
だから、ただの根性なし。