「いやなら来なくていいよ」
このセリフは、やはり多くの人にとってはきつい響きを
もっているんでしょうね。


子供の頃、今ひとつ集団に馴染めなかった私は、
自然と同じように集団が苦手な連中とつるむようになっていました。
この仲間内では、「迎合」するような態度は最も軽蔑され、
自分の意見や自分の思いにこだわりを持って行動することが
重要視されていました。
「和を乱してはいけない」というような発想は、
ほとんどありませんでした。
(そもそも「和」なんてない連中でしたけど。)
それは、集団からはじき出されたことに対するコンプレックスを、
個を前面に押し出すことで克服しようとしていたのだと思います。


迎合を軽蔑する以上、何かしようとするときには日常的に
意見対立が発生しました。
そこで取られる解決策はこうです。
「違っているものは無理に合わせようとしない」
冒頭のセリフはここで登場します。
このセリフは、まさに文面以上の意味は持ちませんでした。
あることに反対した人間が、別のことにも反対するとは限らないし、
嫌々参加されるよりも参加されない方がマシであると同時に、
参加したいという意志を持った人間が参加することは
全く問題のないことでした。


こんなことでしたから、確かに全くまとまりのない連中でした。
何かのイベントに仲間内の全員が参加するようなことは、
まずないことでした。
周囲からは、なんとも得体のしれない連中だと
見られていたように思います。


でも今となっては、集団と個との間のこういうフレキシブルな
関係はすごく居心地よかったなぁ、と思います。
帰属意識とか和の重視とか、そういった考え方が「大人の考え方」には
思えなくて、むしろ子供っぽく思えて仕方がないんですよね。


いやなら来なくてもいいんですよ。
その方がよっぽど大人だと思いますけど・・・。
こういう考え方は、少数派なのかなぁ。