日本の歴史〈15〉大名と百姓

日本の歴史〈15〉大名と百姓 (中公文庫)

日本の歴史〈15〉大名と百姓 (中公文庫)



中公文庫の日本の歴史シリーズの15巻は「大名と百姓」。前巻と同じく、13巻と同じ年代を別の切り口から眺めます。今巻の主題は農政史。


読んだ印象は非常に難しいということです。専門用語がよく出てきますし、読み進めていくと「XX頁参照」という形で本書のあちこちを参照させられるので、読み物のつもりで前から順番に読んでいるだけだと、どうしても理解が浅くなります。また古文書がよく引用されるのですが現代語訳が付いているときと付いていないときがあり、古語の理解がある程度ないと古文書の意味が分からない場合があります。


内容的には前巻にもまして地味です。本巻の主役は「七右衛門(しちえもん)」。名字はありません。駿河国駿東郡本宿村(現在の静岡県駿東郡長泉町本宿。東海道新幹線三島駅、JR御殿場線下土狩駅の近く)に住んでいる百姓です。弟が「与左衛門(よざえもん)」。妻「さん」。母「つる」。息子「亀蔵(かめぞう)」。彼はこの地の名主「与惣左衛門(よそざえもん)」の下人(隷属的百姓)です。これらの登場人物は、架空の人物ではありません。著者が足で探し当てた、「高田家文書」内の検地帳などに記載のある、実在の人物です。本書の「解説」の項にも書かれていますが、この「百姓が主役」というのは歴史書としては珍しく、大変驚きました。本書ではこの七右衛門の生活と、幕政の農政関連、および加賀藩の藩政を軸にこの時代の農政が描かれます。


中世以来の権力階層としては、
 領主 - 地主層 - 百姓
となっており、百姓が生産した農産物が領主の手元に入るまでに様々な地主層による中間搾取がありました。地主層というのは、大規模農民であったり、寺社であったり、貴族であったりします。それが多層にわたって百姓の上に存在しており、領主への実入りは少ないものでした。戦国時代を終えて権力を掌握した武家政権(豊臣政権、江戸幕府、幕府諸藩)は、この中間搾取を排除するために力を注ぎます。その第一歩が太閤検地です。領主(武家)が地主層を排除して直接百姓を把握しようとしたわけです。しかし、武家の思惑通りに事は運びません。百姓はいろいろなシステムによって地主層に隷属しており、簡単には自立できないのです。例えば、百姓の耕している土地はそもそもその百姓の持ち物ではありません。地主から借りているのです。また、別の百姓では、土地はその百姓の所有物なのですが、借金の質に取られているのです。借金の貸し主は当然地主です。このような状況であるため、検地を一回実施した程度では地主による中間搾取を排除することはできないのです。そこで武家はあの手この手を使って試行錯誤しながら百姓の自立化を促していきます。その過程が本書に主に描かれています。


本書ではこれらの政策のうちで、転機となったものが慶安触書(1649年2月)と慶安軍役(1649年10月)であるとしています。これまで幕府と諸藩は、百姓からは取れるだけ取るというのが方針でしたが、この慶安触書以降、農民的剰余を認める方針を出したというのです。つまり、年貢として納めるコメと、生活や経費として必要なコメを除いてもなお、農民の手元にいくばくかのコメが残るようになるのです。また慶安軍役では領主の軍役を軽くし、その分百姓の負担を減らそうというもので、幕府直轄地(天領)以外でも百姓に農民的剰余をもたらしていこうという幕府の方針が示されているとしています。ただし、この議論にはどんでん返しが待っています。「解説」によると、近年の研究により慶安触書と慶安軍役の年代や意義が疑われているというのです。


慶安触書と慶安軍役が疑わしくなったとしても、全国各地に残されている検地帳などの詳細な調査の積み重ねがあり、幕府が農民的剰余を認めていこうとしていた方向性は確実なようです。その意味で本書には意味があるのではないでしょうか。