民権と憲法―シリーズ日本近現代史〈2〉

民権と憲法―シリーズ日本近現代史〈2〉 (岩波新書)

民権と憲法―シリーズ日本近現代史〈2〉 (岩波新書)



岩波新書のシリーズ日本近現代史の2巻です。1877年から1890年までを扱っています。


「民権と憲法」というタイトルですが、私が一番関心を持ったのは天皇神格化の過程です。本書を見ると、実は明治初期は天皇がそれほど絶対的なものではなかったことが分かります。自由民権運動の高まりの中で明治政府は政治集会・結社を認可制にし、軍人・教員・生徒の集会参加禁止を定めるなど運動を弾圧し始めます。これらの政策が天皇から出されたものと考えた秋田の遠山角助という人は1880年に、「陛下、その奴隷を圧するも主人を制する能(あた)わず」と言っています。ここで「主人」とは思想、奴隷とは「形」を指しており、天皇が国民の行動を制限しても思想は禁じられない、という意味です。また、1876年に明治政府内で作成された「日本国憲按」という憲法草案の中ではその第二章六条で天皇は「国憲を確守するの誓を宣ぶ」と規定されており、天皇憲法よりも下位の存在でした。まして民間で研究されていた憲法草案の中には天皇を「人民の全国総員投票の多数を以て廃立」する、などと規定しているものもあり、天皇は民意よりも下位でした。
ただ、このころ「天皇」を議論していたのは政府内部や一部の識者のみで、一般民衆はそもそも「天皇」というものが何者なのかを知りませんでした。そこで実施されたのが、1876年から始まった全国巡行。人々は珍しいものを見物するがごとく天皇の行列を迎えました。屋台が出るなど、お祭りムードだったようです。また「万世一系」の神話の創設や伊勢神宮の整備などが進められ、天皇は徐々に神格化されていきます。
そして迎えた1889年2月11日、憲法発布の日。憲法授与式を終えた天皇・皇后の馬車に対して東大生、師範学校生、小学生が「天皇陛下万歳」を唱え、地方では天皇・皇后の御真影に拝礼し、君が代斉唱が行われることになるのです。完璧なまでの大衆誘導です。こうして明治政府は見事に、日本国民を帝国臣民に仕立て上げたのです。昭和初めくらいになると、この天皇神話が暴走して政府も制御しきれなくなるのですが、それはまだ先のお話です。
あと、印象的だったのは福沢諭吉。一万円札の人です。この人は「学問のすすめ」や慶応義塾を創設したことなんかで有名で、多分その功績で一万円札の肖像に選ばれたんでしょうけど、この人はまた、「脱亜論」という本も書いています。この中で「支那、朝鮮」を「古風旧慣に恋々とする」国だとしてこれらの国を「悪友」と呼び、「我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶する」と宣言しています。「時事新報」という新聞発行時の「本誌発兌の主旨」という文の中では「国権を皇張するの愉快を見」たいと記しています。「時事小言」の中では「亜細亜東方の保護は我責任なり」。意外と帝国主義的な考え方の持ち主だったんですね。