韓非子

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

韓非子 (第2冊) (岩波文庫)

韓非子 (第2冊) (岩波文庫)

韓非子 (第3冊) (岩波文庫)

韓非子 (第3冊) (岩波文庫)

韓非子〈第4冊〉 (岩波文庫)

韓非子〈第4冊〉 (岩波文庫)



韓非子全4巻を読みました。非常に古い古典で、著者韓非は今から2200年以上前の人物ですが、直筆の本が残っているわけではなく、最も古いと考えられているのはこの本の第1冊の解説によると、南宋時代の1165年の本を清時代に復刻したものだそうで、韓非の生きた時代から1000年以上を人づてに伝えられてきていたらしい。そんな中で、単純な筆写ミスや意図的な改竄などが蓄積されていて、現在に伝わる韓非子55篇はそのほとんどが後世の付け足しのようです。自著と考えられるものは、確実なものわずか4篇、ほぼ確実なもの7篇とされています。



実際読んだ感想としては、やはり自著とみられる篇は面白いですね。韓非という人は非常に論理的な人だったようで、身近な事例や歴史的な出来事など、事実を引き合いに出して分かりやすく説明してくれます。それに対して、後世の付け足しとされる篇では「天」とか「道」などの抽象概念を持ち出して難解な説明をするものが多い印象です。



韓非の理論は帝王の理論です。国を治めるために重要なのは賞と刑だと韓非は言います。そしてこの賞と刑が行われる根拠は「勢」だといいます。「勢」は訳本では権勢だとしていますが、つまり権威、権力です。しかし韓非はこの「勢」の獲得方法や拡大方法は教えてくれません。維持する方法には若干言及がありますが、論理展開にあたっては「勢」はすでに保有していることが前提です。したがってすでに確立された権威の上にいる者、つまり帝王にのみ許される理論なのです。

現代にも通じる、なるほどなぁ、と思った話には、施しは良くない、という話があります。韓非は、賞は功績のあった者にのみ与えられるものだ、と言います。しかし施しは広く人民に恩恵を与える行為で、これは功績のない者に賞を与える行為だ、として施しはしてはならないと説くのです。現代に例えれば、生活保護などがこれに該当すると思います。働きもしない者に利益を供与するようなことをすると、全うに働いている者の勤労意欲を削ぐことになります。事実かどうかは知りませんが、マスコミの報道から漏れ聞くところによると、この生活保護のしくみを悪用して働く能力があるにも関わらず国から生活費の支給を受けて働かずに生活している人間がいるとか。韓非の生きた時代には、当然「最低限度の文化的生活を保障する」などという思想はなかったわけですが、生活保護というシステムを運用すればどんな結果を招くことになるのか、すでに2000年以上前に見抜いていた人物がいたのです。



あとは、自著かどうかは怪しいものの、説話集の篇(内儲説篇、外儲説篇、難一篇〜難四篇など)も面白かったですね。韓非の時代は現代から見ると古代なのですが、中国文明はすでにこの時点で、確実に分かるだけでも殷以来千数百年の歴史があり、おそらくこの時代の人々に意識の中では神話の時代も歴史として認識されていたでしょうから、二千年を越える程度の時間軸が意識されていたものと思われます。したがって説話集に記される歴史説話は非常にバラエティに富み、すでに多くの「経験知」が蓄積されていた高度な文明を理解することができます。この説話集の中にたびたび、しつこいくらいに引き合いに出される歴史事実として、田氏による斉の簒奪があります。この事件は紀元前386年の出来事とされていて、韓非の時代からすると150年もの昔になります。つまり田氏の簒奪は、その実行から150年を経てもなお非難され続けているわけで、政治には大義名分というものが重要なんだな、と実感させてくれます。



韓非はまた、たいへんなリアリストでもあり、観念論的な儒家墨家を厳しく非難しています。確かにリアリストの目から見ると韓非の指摘は一々ごもっともなのですが、人間というものは厳しい現実を生きていくためには理想や夢を持つことも重要なんですよね。もちろん理想や夢だけを追い求めて現実から目を逸らすのは問題ですが、理想や夢と、現実とをバランスよく見ていくことが人間には必要だと思います。その意味では、非常に現実主義的な法家思想と、仁や徳などを説く理想主義的な儒家思想とは、人間が社会生活を営む上での車の両輪なのではないでしょうか。両者の思想が現代まで生き残っているのは、そういう人間の二面的な特質を示しているものだと思います。