満州事変から日中戦争へ―シリーズ日本近現代史〈5〉



岩波のシリーズ日本近現代史の第5巻。扱っている時代はタイトルにある通り、満洲事変のあった1931年から日中戦争の始まりとされる蘆溝橋事件発生の翌年である1938年あたりまで。



本書では一貫して「満州」の呼称が使用されていますが、本来は「満洲」です。「満洲」はこの二文字セットで固有名詞であって、「満」という名の州が存在したわけではありません。本書の著者はこの時代を研究しておられるようなので「満洲」の呼称についてはおそらくご存知だと思いますが、「満州」の字を充てることについて何らの説明もありませんので、どのような意図を用いてこの字を充てておられるのか分かりません。所詮は新書ですから専門書ではないのであまりこだわるべきではないかもしれませんが、できれば「満洲」を使用していただきたかったな、と思います。



満州」の呼称は、まぁ、ささいな問題でして、内容としては前巻「大正デモクラシー」の華やかな時代から急転直下、軍部の独裁へと進む時代の過渡期で、対外的な「危機」が連続していきます。主に日中関係をはじめ日本の国際関係、外交政策が中心に論じられ、国内の事象はほとんど現れません。これも前巻「大正デモクラシー」が国内の、特に労働者や女性に焦点をあててその動向を詳述していたのと対照的です。これは当時の軍部のやり口、考え方に対応していて、対外的な「危機」を演出することで、国内の諸問題は些細なこと、どうでもいいことだと国民に思い込ませて協力を強制していったことに通じています。協力とは本来自発的に実行するものであって、「協力を強制する」という言い回しは言葉の使用法がおかしいのですが、軍部のやり方としてはまさに「協力を強制」したのです。

日本の国際関係、外交政策が記載内容の中心に据えられていることから、その方面に関する記述はかなり詳細です。日中交渉や国際連盟における駆け引きなどは非常に興味深く読めました。



本書では知らなかったこともいくつか知りました。満洲事変に際して国際連盟が派遣したリットン調査団は有名ですが、その報告書の具体的内容は読んだことがありませんでした。本書ではその内容について、非常に部分的ではありますがいくつか引用されており、印象としてはかなり日本の立場に配慮したものであったことが意外でした。すなわち、学校の歴史の授業では国際連盟リットン調査団の報告書を採択して日本を非難した、というような論調で教えていたと思うのですが、実際にはリットンは事態の平和的な解決に向けて日本と中国の関係を取り持つようなことを考えていたようで、本心では日本に非があると認識していたようですが、少なくとも報告書の内容に関しては日本、中国の双方が受け入れられるようにかなり苦心して両者に配慮しています。また、このリットン調査団の報告書の採択を通じて日本の国際連盟脱退に至る際に日本の首席全権であった松岡洋右が脱退反対であったということも初めて知りました。松岡は後に外務大臣として日独伊三国軍事同盟締結を進めるなど日本の枢軸入りを積極的に推進したことなどから、もっと強行的な人物だと思っていたのですが、国際連盟における交渉の中で松岡が当時の日本の外務大臣内田康哉とやりとりしていた中では数次にわたってイギリスなどにより提示された妥協案を受け入れるように日本政府を説得しており、国際政治の中で日本を孤立させてはならない、というかなり常識的な判断を持っていたことが伺えます。本書では日本の国際連盟脱退の「主犯」はその外務大臣の内田だとしています。内田が妥協案をことごとく拒絶したのだと説明されています。



そして日中戦争が始まります。蘆溝橋事件から5ヶ月後に南京が陥落しその際に虐殺があったと言われますが、本書は事件はあった、との記述です。しかし規模については言及がありません。ただ一つ紹介されている話があります。1933年に陸軍歩兵学校が頒布した「対支那軍戦闘法の研究」という冊子には「『支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者』が多いので、『仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し』」などと主張されていたそうです。この冊子が最前線の兵士にどの程度の影響力があったのか分かりませんし、たとえこの論理をもってしても民間人の殺害は正当化できないのですが、軍の内部にはこのような考え方も存在し、それが明文化される程度に共有されていたのだということです。