日本の歴史〈17〉町人の実力

日本の歴史〈17〉町人の実力 (中公文庫)

日本の歴史〈17〉町人の実力 (中公文庫)



中公文庫の日本の歴史シリーズの17巻は「町人の実力」。江戸時代の身分制度は「士農工商」と言われ商人は最下層とされてきましたが、その商人層が経済の拡大にともなって力を伸ばしていく時代です。「町人」とは有力商人のことです。



巻末の年表によると、扱われる時代は1704年から1787年まで。ほぼ、徳川将軍6代目家宣、7代目家継、8代目吉宗、9代目家重、10代目家治の5代分です。



この5人の将軍の中で、存在感を示すのは8代吉宗だけ。徳川幕府の官僚機構が整ったことにより、将軍は何もしなくても世の中はある程度治まるようになってきています。



内容はほぼ序盤、中盤、終盤に3分割できて、序盤の主人公は新井白石、中盤の主人公が8代将軍吉宗、終盤の主人公は田沼意次です。



新井白石はいわゆる「正徳の治」の人。身分は旗本で、儒学者です。武家諸法度改定や日本国王号問題などで活躍しています。しかし儒学者の限界といいましょうか、国内の経済が発展しつつある時代であるにもかかわらず農本主義からは逃れられず、ちぐはぐな経済政策を実施しています。



徳川吉宗はわりと有名だと思いますが、享保の改革の人。倹約将軍です。

幕府財政は農民から徴収するコメを基礎としていますが、長い平和による経済の発展が日本人の生活水準向上につながる一方で、コメの生産高はそれに見合って増えるわけではありません。支出は増える一方で収入は増えない状況ですから、幕府の財政はどんどん悪化していきます。吉宗が将軍になったころには初代家康が蓄財した金銀も使い果たして蓄えがなく、危機的状況になっていました。それを立て直すために採用されたのが倹約。幕府財政の困窮の原因は生活水準の向上にあるのだから、生活水準を切り詰めなさい、というわけです。

ただし、こういう改革は一時的には効果があっても、国家的規模で倹約なんかを実施すれば経済が委縮することになります。その証拠に、享保の改革を手本とした寛政の改革天保の改革は失敗しています。一回限りの効果しか期待できない改革だったのです。



田沼意次は後に遠江相良藩主となりますが、元は旗本。田沼家は元は紀州徳川家に仕えていましたが、吉宗が将軍となったのに伴って江戸へ出てきた家です。

田沼意次は「君側の奸」とされて失脚した経緯や、賄賂の横行などで否定的なイメージが大きいと思いますが、本書では幕府の政策を重農主義から重商主義に転換し幕府財政を再建した有能な人物として描かれます。また、こうした方針が商人層の成長をもたらし、本書のタイトルにある「町人の実力」の時代がやってくるのです。文化的にも町人文化が花開き、平賀源内や杉田玄白が現れることになるのです。

本書ではこの時代の人物として三浦梅園を紹介しています。私はこの本を読むまでこの人物は知らなかったのですが、本書ではこの三浦梅園を「ドイツの哲学者カントにも比すべき思想家」として非常に高く評価しています。当時、物事の根源的理由は「天」とか「神」とか「仏」に帰せられていたのですが、三浦梅園は「なぜ」を追求し、それを上記のような超自然的存在に帰すのではなく、物理法則のようなものを追求すべき、というようなことを言っています。



本書の著者は、歴史の人気は「変革や激動の時期」に集中していることを認識し、その上でこの江戸時代中期は「興味のうすい時代」だと嘆いています。確かに、私も戦国時代や幕末、南北朝や源平の時期の方に魅力を感じるのは事実です。そして江戸時代は抑圧された沈滞の時代だと思っていました。しかし、経済や文化はこの時代にも着実に進化しているのです。日本は江戸時代の終わりに明治維新という政治・文化・経済の大改革の時代を迎えますが、明治維新は決して突然変異のように何の脈絡もなく現れたのではなく、長い江戸時代の間に少しずつ準備がなされていたのだと考えられるようになりました。この本は非常におもしろい本だと思います。